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あの日わたしは優等生をやめた

「八木(仮名)さんは優等生ぶってるんだよね。もっと色々考えたり思ったりしているはずなのに、求められているような正解を出そうとする。もっと我を出していい」


大学2年生後期、私の行きたいゼミを担当する先生から言われた言葉だった。

正直めっちゃムカついたし悔しかった。でも何も反論しなかったし出来なかった。悔しかった理由が分かっていたから。


図星だったからだ。


「真面目なところしか取り柄がない」と言われながら育ち、級友も私を「真面目な優等生」と扱うので、相手の顔色を伺いながら求められてきた役割に徹する生き方をしてきた。

でも本当は言うほど真面目じゃないし、学校から帰ってきてゲーム機の電源を入れることが楽しみだったのである。教科によって得意不得意が大きかったので成績も真ん中ぐらい。

「優秀な成績取ったら奨学金が手に入るよ!」と母に言われ、奨学金を貰える優秀な学生にならなくては、という思いと、私は金のために勉強しているのではないのだが?、と反抗期を引きずった葛藤に日々苦しんでいた。

しかも変にプライドも高かったので、優等生でもなんでもないくせに単位を落としたり外部サークルで飲み会だウェイみたいな学生を下に見て、こんな連中と付き合いたくないなと毛嫌いしていた。


そんな私へ向けられた先生の言葉は、致命傷と言っていいくらいのダメージだった。だったけれども、不思議と楽になったのをよく覚えている。

専門に決めた日本美術史が正解の存在しない学問だったということも大きかったと思う。もちろん制作年代や材質といった設問には正解があるけれど、その作品を見てどう思ったかというところは個人の自由なので。


その先生は大学3年の前期の終わりに「私は今年退職します」と言い放ち、私たちが大学4年に上がるのと同時に音信不通となり、良い思い出も悪い思い出も色々残していったので、親しみと憎しみを両方込めて“クソ恩師”と呼んでいる。ひでぇ話だな。なので本人はそんなこと知らずに今もどこかで研究をしているのではないかな。知らんけど。


あの時致命傷を受けていなかったら私はもっとしんどい人生を歩んでいたのではないかなと思う。なんでか当たり前のように“普通に”生きられると思っていたけど、新卒で勤めた会社で失敗したし、コロナ禍をきっかけに信じていた社会がどんどん崩れ、一度は絶望したけど、ただでは死んでやらないと歯を食いしばって立ち上がってここにこうして生きてる。


優等生ぶるのをやめて本当によかった。敷かれたレール以外を歩くことが怖くなくなったから。

優等生ぶるのをやめて本当によかった。毛嫌いせず話してみたらみんな面白くて良い人だった。

優等生ぶるのをやめて本当によかった。色んな他人や自分を許せるから。

優等生ぶるのをやめて本当によかった。“自分の人生”を自分の頭と足でしっかりと歩けているから。



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